10/26(木)学校保健委員会を行いました。
今回は、岐阜大学地域科学部教授 近藤 真庸(まさのぶ)先生をお招きし、「みんな幸せ、だから幸せ」というテーマでお話していただきました。近藤先生の講演の内容を載せさせていただきます。次回は、子どもたちや保護者の方の感想をまとめて載せさせていただきます。
小学校5年生の近藤くんは、ばい菌呼ばわりされていじめられていた「みっちゃん」をかばうこともできず、「いじめられないようにしてね」と言ってしまった。しばらくしてみっちゃんは転校してしまい、近藤くんは後悔して、みっちゃんに「また会おう」と書いた絵はがきを出した。その後もみっちゃんからの返事はなく、近藤くんはずっと後悔し続け、「みっちゃんから返事かくるまでは友だちを作らない」と決めた。ずっと続けていた野球のチームメイトだけがつながりだった。しかし、高校野球で、自分のミスで甲子園出場を逃してしまう。もうここに住んでいられないと感じ、夜行バスで東京に行った際に、フォークソングを歌っていたバンドに「ボーカルになってくれ」と声を掛けられた。それから、勉強をし、受験をして、東京の大学に進学した。バンドのボーカルとして歌っていたときに、ふと見覚えのある姿を見つけた。「みっちゃん!」と思ったが、違う人だった。みっちゃんと間違えたその女性が、「みっちゃんの話が聞きたい」と言うので、近藤くんは涙ながらにみっちゃんの話をした。成人式が近づいてきた頃、その女性に、「成人式はどうするの?」と聞かれ、近藤くんは友だちがいないことを打ち明け、「行かない」と言った。すると、その女性に、「みっちゃんが待ってるかもしれないから行って。」と言われた。成人式の日、会場には行かず、実家に行くと、子どもを連れた女性が来ていた。みっちゃんだった。みっちゃんは、「まさのぶくんがくれた絵はがきをずっと握りしめ、いじめに耐えていた。」、『死のうと思ったこともあったけど、「また会おう」と書いてあったからそれが支えだった。』、『まさのぶくんが街で会ったときに、「みっちゃん」って呼んでくれたのがすごくうれしかった。名前で呼んでくれるってことは、私のことを大切にしてくれるってことだと思った。』と言った。そのことを東京に戻って、みっちゃんの話をしていた女性に伝えると、「実は私も中学2年生のときみっちゃんと同じだった。」と打ち明けてくれた。4年後近藤くんはその女性と結婚し、今では孫も2人いる。みっちゃんが幸せになってくれたから自分も今幸せ。
クラスにさみしい思いをしてる子がいないか。「もし自分だったら、どんな言葉を掛けてほしいか」を考える想像力が大切。みんなのお母さんお父さんも、みんなが、「人の気持ちのわかる子に育ってほしい」と願っている。「みんな幸せ、だから幸せ」と言えるクラスを作ってください。